仕事・集中
続くものは、意志ではなくリズムでできている
水曜日の午後三時、いつも座る窓ぎわの席でした。日ざしがテーブルの端まで届く時間です。
注文をして振り返ったとき、ふと気づきました。私はこの席を選んだのではなく、ただここへ歩いてきたのだ、と。
頼むものも同じでした。かばんを置く位置も、カップを左に置くことも、ノートを開く前に一度外を見ることも。誰かが決めたわけでもないのに、毎回同じでした。
その日、私は何も決心していませんでした。それでも一日の一部分は、もう動きはじめていました。心よりも先に、体が知っていたのです。
私たちは、一日を決心で動かしていると思いがちです。朝、目を開けて今日はこれをやると決めて、その決めた気持ちの力で一日を押していく、と。だからうまくいかなかった日には、気持ちが足りなかったのだと考えます。
けれど、毎日ほんとうに続いていることを一つずつ思い出してみると、たいていはそんなふうに保たれていません。歯を磨くために毎朝あらためて決意する人はいません。靴を履く順番で迷う人もいません。
それは心が支えているのではありません。場所と順番が支えています。洗面台の前に立てば、手のほうが先に動きます。決心はそのあとに来ます。来る日もあれば、来ない日もあります。
人は自分の性格よりも、自分が立っている場所に従うことのほうが多いのです。どこにいるかが、何をするかをずいぶん決めてしまいます。弱いからではなく、もともとそういうふうにできている、ということです。
長く続いたことを見てみると、静かな共通点があります。どこでやるかが決まっています。何から始めるかも決まっています。だから始めるときに、あまり考えません。
反対に、続かなかったことを思い出すと、毎回場所が違いました。時間も違いました。ある日はベッドで、ある日は食卓で。そのたびに、はじめから決め直す必要がありました。
たくさん考えないといけないことは、長くは続きにくいものです。毎回決めることは、毎回重くなります。一日に使える決定は思ったより少なくて、夜になるとほとんど残っていません。
リズムという言葉が好きになったのは、そのためです。リズムは強く押しません。ただ次の拍を連れてきます。拍を連れてくるのは力ではなく、ひとつ前の拍です。
だから何かを続けたいとき、必要なのはもっと強い気持ちではないのかもしれません。戻ってこられる席がひとつあれば足りることもあります。
場所は、記憶を代わりに引き受けてくれます。私が忘れていた日も、その席はそのままそこにあります。もう一度座れば、そこから続きます。
ですから今日のルーティンは、何をするかよりも、どこで、どんな動作で始めるかに近いのです。水をそそぐことでも、窓を開けることでも、始まりを知らせる動作がひとつあれば、そのあとは少し自然にやってきます。
終わる動作もひとつあるといいです。終わりがぼんやりしていることは、次が重くなります。はっきり終わったことは、また始めやすいです。きれいに締めくくるためではなく、次の自分を少し楽にするためです。
そして、できなかった日について、ひとつだけ。リズムは切れるのではなく、一拍休むだけです。休符の入った楽譜も、そのまま演奏は続いています。
そんな日は、席のそばを通り過ぎるだけでも大丈夫です。座らずに通り過ぎるのも、リズムの一部です。次の拍は、変わらずその席で待っています。
今日の午後も、同じ席に座る気がします。特別な心がまえもなく、ただ。かばんを左に置いて、一度外を見て。
続いているものは、たいていそんなふうに続いていきます。静かに、同じ席で。
ルーティン
場所が記憶を代わりに引き受けてくれます。毎回どこでやるか決めなくてよければ、始まりはずっと軽くなります。
始まりを知らせる動作がひとつあれば十分です。その動作が、次の順番を連れてきます。
はっきり終わったことは、また始めやすいです。次の自分を少し楽にしてくれます。
休んだ日は切れたのではなく、一拍休んだだけです。席のそばを通り過ぎるだけでも、リズムはそのままあります。
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